1979年敬请关注!
简介:「牡丹燈籠」といえば、このところ何回となく書いているが、足のない幽霊がカランコロンと下駄をならしながら、男の元へと通うのが何といってもイメージが強い。実はそれはほんの一部でそこからどんどん話をが展開していくのである。女の幽霊になったお露の部分をとっても、原作には数々のその後に繋がる伏線が張ってある。だから映像化される場合それらの伏線の所を描いてしまうと話がおかしくなるところもある。かといって、お露と新三郎のエピソードのみでは、間がもたない。だからか「牡丹燈籠」が映像化されたものを見ると、創作で原作とは設定を変えていることがある。(とはいいながら2本しか見ていないのですが…) うら若き青年ではなく、新三郎は亡くなった女房がいる立派な大人である。その死んだ女房に似ているのがお露。一方、そのお露も親によって決められた縁談があり、それを理不尽に思っている。それが今回観た「牡丹燈籠」の設定となっている。 お露と新三郎、お互い好いた者同士の逢い引きだ。時間もあっという間に過ぎてしまい、つい帰りが遅くなる。あった、あった、ボクにも遠い昔?にそんなことがあったネ。恋愛中ほど人生が充実し時間が短く感じることはあまりないのではないだろうか。 恋する男女には時間ほどジャマなものはない?そして、この辺りから夢と現が交錯し始め怪異の世界へと入っていく。 幽霊と逢い引きする新三郎だが、死相がでていると指摘を受ける。しかし毎夜毎夜、お露に精力使うのも死と隣り合わせになっていくにちがいない。それはエロスの力なのである。いずれもオブラートに包んで表現しているが…である。はたして男が抱いて果てた後は、幽霊に対してどんな行動を起こすのだろうか?少しばかり興味があるところだ。アノ後の男の行動と女の気持ちのギャップは、性差によるところ大なのだから。 このテレビ用に創られた「牡丹燈籠」に登場する伴蔵は特によこしまな行動は起こさない。単純にお札を張るのに見落としがあったため、お露が新三郎の家に入るのを許してしまう。結局、彼は彼女の毒牙?にかかるのだが、彼に見えているのは美しい彼女の姿。至福の顔を見せて新三郎お露の墓の前で死ぬ。それはひとつの愛の形の提案であるように思えた。…