女医絹代先生

  • 生活 都市
  • 田中绢代
  • 120分钟
  • 野村浩将『女医絹代先生』(1937/松竹大船/白黒)を… 野村浩将『女医絹代先生』(1937/松竹大船/白黒)を観ました。 監督:野村浩将。 脚色:池田忠雄。原作:野村浩将。 撮影:高橋通夫。美術:周襄吉。照明:加藤政雄。 衣裳:林栄吉。音楽:万城目正。 出演:田中絹代/東山光子/佐分利信/坂本武ほか。 ストーリーは若い女医絹代先生(田中絹代)を主人公にしたラブコメディーで、物語り 云々よりも、この作品はモボ・モガが東京の街を闊歩していたといわれる1937年に 製作された映画。当時の事を想像してみると…………いくら「モボ・モガ」と言ったっ て、それは首都・東京の、それも一部の人達が享受できた豊かさであったはずで、一般 庶民の生活は洋装より和装が中心の生活であったろうし、或は地方ではまだモンペを履 いていたことだろうから、庶民にとってはモダンな生活は程遠いものであったはずだ。 と、想像たくましく、当時の観客の気分になってこの映画を観たのだけれど、主人公が 鼻っ柱の強い、若い可愛いエリート女性、「女医」であることが、かなり先を行ってい る。もちろん女医だから金には困らない。この絹代先生は最新のファッションを身に纏 い、白い手袋をはめた手でスポーツカーのハンドルを握り運転し、冬は、これも最新の ウェアーを着てスキーをしたりする。男性に対してもなかなか積極的で、自由奔放。 当時の銀幕、田中絹代というスター女優が如何に輝いて見えていたかは、すぐに理解で きた。 理解できたというか、驚いた。どう驚いたかと言えば、絹代先生と助手を演じている東 山光子のファッションがすごい。映画の後半はまるでファッション・ショー。当時を想 像して観客になったつもりで観る、などしなくても、今でも通用する、というよりも「 今ではあんな服、ひょっとしたら探しても見つからないかも知れない」という、悔しさ を、現在の女性は味わうことになるでしょうし、とにかく素晴らしいのだ。 日本最初のファッション雑誌と言っていい『装苑』の創刊が1936年。戦争が始まっ て休刊となり、復刊されるまで10年かかった。『ドレメ』の創刊はこのまだずっと後 になる。『装苑』の「型紙の付録」でもってミシンを踏む「洋裁ブーム」は40年代後 半、洋裁学校が地方都市にも沢山できはじめた頃から50年代後半まで続く。ちょっと 説明が長くなりますけど、このまま続けます。で、このブームの背景には「ミシンの量 産」がある。ミシンの製造行程というのは機関銃のそれと同じなのです(「ジューキ」 というミシンメーカーがあるけど、重機であるけど、銃器でもある)。武器工場が揃っ てミシンを量産し、日本は世界一の生産国となり輸出で外貨を稼ぎまくった。 「シネマ」が「大衆のファッション」と結び付くのは、『ローマの休日』のAラインの フレアースカートに太いウエストマーク、白のシャツブラウス。『麗しのサブリナ』の トレアドルパンツ、ベタ靴。それと『君の名は』の岸恵子の「真知子巻き」の50年代 中頃を待たなければならなかった。そして少し後の「太陽族」。それまでの40年代後 半~50年代のファッションは、進駐軍のお古。或はそれを参考にしてミシンを踏んだ。 強烈なアメリカかぶれ。パンパンのスタイルが女性のファッションをリードした。「ミ リタリー・ファッション」もパンパンから生まれた。 どこででもオシャレな服が、手頃な値段で買える時代というのは、早くても60年代を 待たなくてならず、つまり、ある程度の量産品としての既製服の歴史は浅い。今では当 たり前の「トータル・コーディネート」というディスプレイ、販売手法を百貨店で初め て取り入れた「ワールド」が、日本最初の「年間売り上げ1000億アパレル」になっ たのは、80年代に入ってからなのだ。 『女医絹代先生』は1937年。「シネマ」が「大衆のファッション」と結び付く以前 の映画だということになり、つまり庶民にとっては「絶対的憧れ」として、絹代先生は いたのであり、そして銀幕のスター田中絹代がいたということに、なりはしないかと思 う。 絹代先生はスポーツカーを運転するのだけれど、田中絹代が実際に運転している。サン グラスをかけて見事にスキーをするのだけれど、これも田中絹代が実際に滑っている。 この映画の翌年に田中絹代は『愛染かつら』で看護婦を演じ、この田中絹代の白衣姿の 可愛さにによって、看護婦になる女性が急増したというから、ちょっと驚く。 とにかくこの頃の日本のファッションは、趣味がいいし、なにはともあれ、映像の調子 が明るくて綺麗ですし、マーガレットをさした花瓶が画面いっぱいに映るカットの素晴 らしさ。鉄筋コンクリートの建物がシンプルに映って、女医の白衣、頭の後ろには、直 径20センチ程の大きい白いコサージュ。映画冒頭の、田中絹代の黒いタイトスカート のスーツ姿の制服の可愛さ。登場する帽子のバリエーション。とにかく観ていて楽しい。 そして佐分利信にも触れておかなければならない。佐分利信、28才。スーツ姿がキマ って見えるのは、スーツはもちろん、シャツもこの頃はテーラーでの誂えですから、素 材やデザインなど抜きにして、「身体に服が合っている」ということが「ダンディー」 のすべてであり、この頃の男優のダンディーぶりには、参ってしまう。 それと、田中絹代が運転するスポーツカーなのだが、これがめちゃくちゃ可愛い。クレ ジットに「ダットサン(ニッサン)」とあったので、ネット調べてみたら、見つけた↓ 「1936年式ダットサン15型ロードスター」。これです。36年ですから最新の国 産スポーツカーということになる。ホロ付きのカブリオレ、車体のコンパクトさもさる ことながら、ホイールの大きさとシンプルなデザインが、めちゃくちゃ可愛いと思いま せん? 細部はココで見れます。 後部のスペア・タイヤの部分が後ろに倒れるようにできていて、これが後部シートにな る。映画の中でここに人が乗っているところが見れる。しかし、オカマされたら即死で すよコレ(笑)。それとホイールですが、中央のステンレス(?)の小さいカバーはネ ジ式になっていて、手で外すと4つのボルトがある。映画の中で田中絹代が運転してい る時に左後輪がパンクして、絹代がカバーを外して、ジャッキで車体をアップさせてス ペア・タイヤに交換しようと、工具を持って奮闘するのだが、ボルトが回らない。そこ に佐分利信が通りかかり、ボルトを外してタイヤ交換。「あんまり無茶な運転するんじ ゃないぞ。運転がヘタなようだからな」と言い捨て去っていく佐分利信。「にくいなあ、 あいつ」と絹代。ここで絹代は佐分利信に惚れるのだ。これは名シーンだと思う。ジャ ッキがアップ・ショットになる日本映画なんか観たことがない(笑)。

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