解散式

  • 动作
  • 鶴田浩二 丹波哲郎 渡辺美佐子
  • 120分钟
  • 今日は1967年の「解散式」。深作監督にとって初めての… 今日は1967年の「解散式」。深作監督にとって初めての仁侠映画です。「誇り高き挑戦」、「狼と豚と人間」、「ギャング対Gメン」とギャング映画ばかり撮って来て一定の評価を受けてきた深作監督ですが、1967年から1972年にかけていろんな映画を撮っています。この「解散式」もそうした試行錯誤の中で一本で、仁侠映画を多くプロデュースした俊藤浩滋とはじめて組んでいます。俊藤さんは深作の才能を高く買っており、「仁義なき戦い」の製作にも名を連ねています。ただ、深作監督にとってはやはり仁侠映画を作るのは厭だったらしく、「やっぱり何か自分で好きな映画をやっている実感はなくて、しんどかったですね」(「世界の映画作家22」より)と自作を振り返っています。 小滝組の幹部、沢木(鶴田浩二)は8年の刑期を終えて、娑婆に舞い戻ってくる。彼自身は何も変わらなかったが世間は変わりすぎていた。彼の古巣はコンビナートに生まれ変わり、かつてあったヤクザ組織は暴力団追放の世論をかわす為に解散していたのだ。小滝組もその例外ではなく、小滝組幹部の島村(渡辺文雄)が経営する島村組へと姿を消していた。沢木は島村より会社の経営に協力してくれるように頼まれるが、自分のガラではないとスラム街に身を寄せていく。「任侠道なんてのは上が押し付けたお仕着せだぜ。」「そのお仕着せが俺にはぴったり合うんだ。」 しかしそのスラム街にも”時代の波”は押し寄せていた。内縁の妻、恩師も住むその土地は新たなコンビナート建設予定地として、島村組と桜田組の双方に狙われていた。やがて島村は、沢木の弟分を妹を人質にして、鉄砲玉に使おうとする。。 追い詰められた主人公が最後に悪人をドス一本ぶらさげて殺しに行く。仁侠映画というのは所謂、そうしたガマン劇です。この映画もそのガマン劇の一種で鶴田浩二は最後にドスをぶら下げて殺しに行きます。俊藤さんは「任侠映画伝」で「任侠映画の魅力は夢とロマンや」と述べています。確かに追い詰められた主人公が一切の打算も駆け引きもなく、悪い連中を成敗するのは胸がすく思いもします。しかし。。なんかなあ。私は逆に敵役の渡辺文雄がかっこよく見えてしまう。鶴田浩二を前に「弱い奴は死ぬ。俺だってこの仕事に命はってるんだ」と言い切る姿には「悪人だと言われようが俺は自分の道を進む」という強さがあります。この映画では彼がラスボスではないのですが、やはり対立軸として鶴田と渡辺を比べると渡辺に「鶴田浩二にはなれなかった」男の悲しみみたいなものを感じてしまう。 こうした違和感はやはり、深作監督自身が仁侠映画というものに疑問を覚えていたからだと思います。鶴田浩二演じるヤクザは正義の人と言うより、自分を貫いて生きたい人。時代に取り残されたことはわかっているのですが、旧来のヤクザにしがみつかざるをえない。丹波哲郎演じるヤクザもやはりそういうヤクザで、鶴田が出獄するのを一人待ち続けていました。こうした男たちの執念を無理やり、仁侠映画に当てはめたので何となくしっくりきてないんじゃないでしょうか。この傾向は「博徒解散式」でさらに強くなっています。 共演ではボスをやらせたらこの人の右に出る者なしの内田朝雄にあご髯の政治家として金子信雄も出演しています。個人的には小松方正のテカテカ感が面白かったです。

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